言葉についての覚え書き

 

 

 もう文章を書かないんですか、という問いかけをときどき投げかけてくれるひとたちがいる。――そのような問いかけのなかでの「文章」とは「物語」のこととして。

 

 以前に自分のなかの物語をものがたるために言葉を綴っていたことがあり、蝶のうたた寝、夏の鳥籠、貝殻の肖像、空に種を蒔く、とそういうふうに題をつけて、その題に集った花びらをならべるように言葉を紡ぎ、ひとつのおおきな花とするために文章で束ねたものを過去に読んでくれたひとたちが、そういう問いかけをしてくれることがある。ずっと昔のことなのに、ささやかに編んだあの物語たちを覚えていてくれることはとてもありがたいことだと、感謝しています。

 

 「もう書かない」とわたし自身の気持ちとしては思ってはいないのだけど、でもそれを書いていた当時といまとではあきらかに変化していることがあるのです。

 

 それはあのころ、「この世にわたしの心にかなう美などないのだから、わたしがその美を創りだせばいい」と思って、わたしの心にかなう美を、その世界や人々を体現するためにそれを書いていた、ということ。

 

 「あなたは自分の金星を癒すために物語を書いていたのかもしれない」といつか占星術をするひとがいっていたことを覚えています。もうずいぶんと古い記憶の一部だけど、それは印象的な言葉で、そういわれたときそのとおりなのかもしれないと感じたから、その納得する気持ちとともに忘れがたいのだと思います。

 

 占星術で「文章を綴る」という領域は通常水星であらわされます。けれどもわたしは言葉で構築された確固とした城のような美を組み立てることで、わたし自身の金星を癒していたのではないか、と。自分の美や理想や心地よさ、芸術的領分などをあらわす金星という星。

 

 わかりやすくいうなら、わたしは自分の傷ついてぼろぼろになっていた金星を回復とまではいかなくても、いくばくかの栄養をあたえるために、わたし自身のための物語を書いていた。自分を慰めるための自己供給的な手段としてそれを用いていた、というふうに。

 

 自分の心にかなう美などこの現実にありはしないと思っていたから、そうしていた。

 それもある意味でその当時の自分が視界に、すなわち頭と心に纏っていたひとつのフィルターであったのだと、いまなら思う。

 

 現実にないのだから夢のなかでそれを築いてしまおう。贋金をつくるように、わたしの美意識で統御された夢の魔術をかけて、わたしの規律によって呼吸する“うつつ”を、この世界の裏側に出現させるために。

 

 けれでもそれは、自分の見ていた世界が狭かったがゆえのことだった、と理解するようになった。自身の世界を拡げたら、美しい場所も美しい人たちも現実に存在することを知ったがゆえに。それも自分が綴った物語よりもわたし自身の心の美に触れるかたちで、物語よりも物語らしく。

 

 それを理解したとき、わたしは「現実にないものを創りだすための夢」としてわたし自身に物語を紡ぐ必要性を感じなくなったのです。「自分のための書き手」というフェーズ、自分自身のなかの穢された美とでもいうべきものを再生させるため、涙を結晶のように見せるためのマジックに言葉を用いること、その段階は終わったのだと。

 

 自分のもとめていた夢のごときものは、なによりも現実のなかにあったこと。

 

 はじめは地に姿を出していない土のなかの種だったから、それに気づかなかった。

 でも植物にそうするように自分に水や空気や光をあげつづけることで、それを「あげている」という意識もなかったけれどそうしてゆくことで、それに気づいていったこと。

 

 だから冒頭のありがたいその問いかけへの答えは「 もしかしたらまた言葉をつかって物語を書くこともあるかもしれない」というような曖昧なものになってしまう。少なくとも自発的に、わたしがわたしの内側からなにかを“ものがたりたい”と感じるのを待って“書く”ということならば。

 

 でもそのときは、以前に書いていたときとそれを書く自分の動機がまったく異なるところにあるから、そこにあらわれる世界もまた、以前とはまったく異なるものになるのだろうと思うのです。

 

 おなじことでもその動機が変わればそれを取り巻く世界が変わる。だから以前わたしのなかにあった確固とした美が自然に溶けていったように、そこにあらわれる美は過去の城とは姿を変えたそれなのだろう、と。

 

 物語のことにかぎらず、わたしにはどこか「それがないなら自分で生みだしてしまえばいい」という発想があるようで、わたしがすることは大抵自分独自のこの方式を辿っているような気もします。

 

 ともあれ心にとめてくださるかたがいてくれるのは、ほんとうにありがたいことで、気にかけてときどき想い出してくれるひとがいること、嬉しいなと思います。ありがとうございます。