あたらしいメニューのお知らせ*イントロダクション
17日の満月より、セッションにあたらしいメニューを追加する運びとなりました。
こちらのメニューは女神のエネルギーとつながり、遠隔でヒーリングをお送りするもので、常時受付オープンのメニューではなく自分自身のタイミングで受付を募集する、そのようなものになると思います。
今回はこの満月がタイミングであると感じ、この満月からスタートしたいと決めました。
まず、このメニューを開始しようと思った経緯についてお話させてください。
――ここから記すことを、世迷言だと思われるかもしれません。
けれどもわたしの真実はわたしがわかっていること、そのうえでこれまではそれをジャッジされたくなくてそのようなことを積極的に他者に話したりしなかったのだろうと、いまでは感じられること。そしてジャッジされてもいいと思うようになったから、それをアウトプットしてゆく流れになったことも、また理解しています。
わたし自身、現在のセッションメニューとなっているアクセス・バーズ、アクセス・フェイスリフト、アクセス・ボディプロセス――アクセス・コンシャスネス社のエネルギーワークのほかには、エネルギーの伝授を受けたり、それを専門のかたに習ったりということはありませんでした。
昨今の情勢など、いろいろ考慮して遠隔でできるものがあればいいかも、とはぼんやりと思うこともありましたが、けれどもどなたかにそれを“習う”というのはいまひとつ気がのらず、おそらくもともとかなり感覚的で型にはまるとかえって自分のよさを削ってしまうところがあるので、そういう意味でヒーリングなどをはじめとするエネルギーワークを“習う”気持ちにはなれないのだ、と自分では理解していました。
それにそのようになにかを“習う”としたら、その動機は「自分のため」でなければわたしの場合、軸がずれてしまうことがあることも自分でよくわかっていて、「セッションのメニューに加えたい」という動機から習ったりはじめるものは、真にわたしのためにはならず、真にわたしのためにならないものは、ほんとうの意味で他者に提供できないこと。
以前にしていたカードセッションも現在施術しているアクセスのエネルギーも結果として「他者のために」提供するようになったものは、もともと「自分のために」やっていたことを自然な流れとして他者にもするようになっていったことでもあって、「自分のために」というのはわたしの基準でもありました。
そのようななかで去年の春ごろから、さまざまな要因や出来事が重なって、女神たちのエネルギーと繋がる“回路”というのでしょうか、そういうものがひらくようになりました。
わたしが最初にほんとうの意味で自分とエネルギーが“つながった”と確信、感じることができた女神はペルセポネでした。
ギリシア神話のペルセポネ。大地の女神の娘で、“乙女”という別名をもつ彼女。
ペルセポネは過去世と魂の癒し手でした。
そしてタロットカードの女教皇のような存在でもありました。
わたしのなかの、あらゆるひとのなかの“女神官”としての部分を強化してくれる、強化してくれたかたでもあって、そしてそのためには魂や過去世が癒される必要性を教えてくれる、魂の闇夜のなかでつねに見えない光でそばにいてくれた、そばにいてくれる存在でもありました。わたしがそれに気づかなかったときも。
最初に彼女と“つながった”とき、そのエネルギーがあまりに強力で、それがわたしにとても必要なものだったからこそ、かなりずどんと入ってきたのだと思うのですが、だから彼女と“つながる”ことがわたしにはすごく大事なことだと思い、数か月に渡ってペルセポネとワークをつづけていました。そういった日々のなかであるとき、アメノウズメノミコトという宇宙の踊り子とでもいうべき女神のエネルギーとつながる回路がひらき、天岩戸開きのようなヴィジョンを見ました。半分眠りながら視た、夢と現がまざりあうようなそれでした。
開けてはいけないその箱のなかには、ありとあらゆる災厄が眠っていた。
わたしも蛆虫とかそういうものがたくさん湧いて、それがあつまることで黒くなり闇をつくっている、パンドラの箱の災厄みたいな闇の場所、洞穴みたいなところに自分がいて、「ああ、いままでわたしはこのようなところにいたんだ」と思い、力づくでその闇の扉をあけてゆくヴィジョンでした。
ものすごく力が必要で、わたしのぜんぶの力を腕と手にこめる必要がありました。それでも足りないくらいおおきな闇の抵抗を感じながら。
わずかに開いた扉のさきから光がはいってくるのだけど、それがあまりにも眩しく、わたしを刺してくるようで、剣のようだと思ったことを覚えています。
強すぎる光は剣なのだと。
それを受けとる器がないときはその光を浴びた瞬間、吸血鬼が太陽を浴びたときにそうなるように、粉々になってしまうだろうと。
そのようなときは闇のほうが心地好かったのだと。たとえ自分では苦しいと思っていたとしても。でもその「苦しい」という気持ちは数年まえからなくなって、それまでは「苦しい」「悲しい」と感じていたこととおなじような現象が起きても、それがわたしの核を揺さぶらなくなっていました。視線が変わった、心のありかたが変わった、だから衝撃を加えられてもそれは厚い壁のむこうからのもので、核に届かなくなっていった、というような感じで。そうなるまえの膿だしやクレンジングは大変なこともあったけど、バーズをはじめとしたアクセスのエネルギーも、かなりわたしの助けになってくれました。
だからこそ、この蛆虫たちがいまは見えること。この“パンドラの箱”のなかに自分がいたことがわかるのだと、思ったこと。
光は痛くて、すこし油断すると腕の力は弱まり、蛆虫たちの世界に引き戻そうという強い負荷を感じたけれど、でもわたしはそのさきにいきたいと思って背後でその扉を閉じたこと。
そのヴィジョンを視た直後に全身にじんましんが出て、ひとつの季節をその回復にあてたこと。
それは荒治療ではあったかもしれないけど、自分のなかから“悪いもの”を出すためのものだったこと、それがわたしに必要なものだったことが、わたしにはわかっているのです。
そのようにして身を清めることを求められた季節のあと、さらに多くの女神たちのエネルギーと“つながる”ことができました。
たとえば家系や先祖から持ちこしていたカルマ的なもののクリアリング、ネガティヴなもののプロテクトや守護をドゥルガーに、
内部に蓄積されたもの、抑圧を浄化して自分のハートにある感情を味わうことをペレに、
自分のなかにあるゆがみやねじれを解き、受容し赦してゆくことを観音に、
過去の人間関係や受けた状況からくるハートブレイクや喪失の回復をシヴァとかれのシャクティに、
対立感と停滞感を平和にしてゆくことをグリーンターラに、
恐怖心、飛ぶことの怖れを癒して自らの叡智とつながることをイシスに、
“わたし”という存在に愛と思いやりをもつことをアフロディテに、
自分への信頼と活力を回復してゆくことをダイアナに、
インスピレーションの泉と深く繋がること、“真実”の源と結びつくことをサラスヴァティに、
というような感じで、ここに記していない女神たちからもたくさんサポートしていただきましたが、それは外から、女神たちなら女神たちから「あたえてもらう」というよりも、すでに自分のなかにある力を「想い出して」、わたしがわたしを「うけとる」ということのようでした。
去年は1年かけて女神たちとの繋がりを深め、自分が自分を「うけとる」ことを知ってゆく、そのような年でした。
しかしそれは自分自身にだけにあてることができるものだと思っていたので、そのエネルギーを「外」にむかって使うことはあまり考えていませんでした。
けれども去年の12月に、そのエネルギーを他者にも送ってあげてとつたえられ、去年1年のあいだにセッションを受けてくださったクライアントさんにおひとり20分ずつ、おおみそかに観音のエネルギーを遠隔でお送りする機会がありました。
なぜ観音なのかといわれれば、それがそのときもっとも“軽さ”に影響をあたえてくれるかただと感じたからなのですが、そのようにアウトプットしたことは自分にとってもとてもよいことだったらしく、動いた“流れ”もあるようで、今年に入ってからそれを「外」に流すことを練習、研究していました。そうして気づいたことは、わたしはすでに自分に「ある」ものを、「ない」ものとして長く扱っていたのだなということで、すでにわたし自身の準備は整っているということでした。
「自分のために」わたし自身にしていたものを、「他者のために」も還してゆくこと。ふたたびそのような流れなのだと。
そのためそれをセッションのメニューに加え、春分くらいからでも開始しようと考えていたのですが、自分が悠長にかまえているよりもはやく物事は展開しているらしく、今月から準備をしなさいといわれているようで、わたし自身が思ってるよりも展開がはやいのでバランスが大事だとは思いつつ、今月の満月をスタートの日にいたしました。
今月はとくにバランスが大事なようだと、お逢いできたかたやお話できたかたには申しあげたりしたのですが、わたし自身もバランスを大切に保ちながら、このあたらしい局面を軽やかに歩いてゆければと思っています。
女神たちのエネルギーについてのメニューの詳細はまた後日*
今回はそのイントロダクションのようなものでしたが、お読みいただきありがとうございました。