お知らせ・お手紙セッションについて

 

 

 現在、言葉にエネルギーを託すリーディングとして、「必要なメッセージ」と「特定の対人関係に必要なメッセージ」をメニューとしておりますが、これまではおりてきた言葉をかたちにして便箋にしたため、「お手紙」としてお渡しするというかたちでご提供しておりました。

 

 それを「メール」でお届けするというかたちにシフトしようと思い、これはそのためのお知らせとなります。

 

 そのように決めたきっかけとして、先日あるかたに言葉によるリーディングをお手紙ではなくメールでしたためる機会をいただき、それを綴るなかで、その形式のほうが「おりてきたもの」をより正確に自由にかたちにできること、そしてその形式でおつたえするほうが自分自身もエネルギーもより軽やかであれることを感じ、いまはわたし自身のその感覚に添うときなのだなと思い、それにしたがうことにしたのです。

 

 

 お手紙セッションはそのはじまりから便箋に自分の言葉でしたためることにある種のこだわりをもっていました。お申込みいただいたおひとりおひとりに祈りをこめて「お手紙」として綴ることで、そこに記したメッセージを超えて、そのかたにとってひとつのお守りとなるよう作用することを意図していたからです。

 

 けれども先日メールでメッセージを綴ったおり、メールという形式でもおなじように言葉にエネルギーがこめられること、そして便箋に綴るお手紙のときには存在していた目には見えない制限が外されることを感じられたのでした。

 

 「見えない風」のようなものに色をつけ、形をもたせ、ときにはそれに名をあたえる、言葉にはそのような力がありますが、お手紙によるお届けは、その色や形や名を明確にしようとするあまり、「風」そのものをより透明なまま言葉としておろそうとするときに弊害があったのだなとメールでメッセージを記したおりに感じ、電子でメッセージを綴るほうが軽やかで自由に思ったのは「風」の透明さにより近づけることを感じたからです。よくわからない喩えかもしれませんが、わたしにはそのように感じられたということ、だからいまはそのようにしてメッセージをおつたえするのがいいのだなと決めたということをおつたえしたかったのでした。

 

 そしてメールでメッセージをおつたえする機会をいただいたのは、自分のなかにあるこだわりを解き、シフトさせるためでもあったような気がすることも。

 

 思えばわたしは膨大な文章量をメッセージとして記してしまう傾向があるので、それを軽やかに、そして形にとらわれず、そのうえで核をもっておつたえするのには、メールというツールのほうがむいているのは当然だったのかもしれません。かつてやはり電子をツールにしてメッセージを綴っていたことがありましたが、そのころのことをひさしぶりに思い出したりしました。

 

 言葉によるメッセージのリーディングは、現在セッション内でお届けしております。

 そして形式をお手紙からメールにシフトすること以外は従来どおりです。

 

 ひとつひとつ丁寧におつたえしたい気持ちがあること、また言葉というエネルギーをおろすことは自分自身のエネルギーも必要とするものなので、現時点ではたくさんの量をこなすことはできず、また価格もセッションに足を運んでくださりメッセージをもとめてくださるかたへのサービスのつもりで設定しておりました。

 

 

 昨今の時世、また時世と関係なく足を運ぶというのはもともとハードルも高いところもあるかと思いますし、遠方のかたからメッセージをご希望くださるお声をいただくこともあり、セッションで設定しているリーディングメッセージとおなじ価格帯はむつかしいとは思いますが、セッション外でメールでのリーディングをすることも検討中です。現在はセッションを優先しておりますが、自分自身にゆとりをもちつつ、その「検討中」を現実に実行したいという心の動きに傾いた場合はTwitterでお知らせいたします*

 

 

 

 これからますます「自分が軽やかであれるほう」を自分自身に選んであげることが重要で大切になってくると思っています。

 

 自分を軽くしてあげることが自分の「外」にあるものも軽くしてあげることになること。

 

 「自分が幸せになることが自分のまわりも幸せにする」という言葉を聞いたことがあるかもしれません。あれのほんとうの意味は、「自分が発しているエネルギーがまわりにも影響をあたえる」ということです。軽やかさは軽やかさを、重さは重さをおよぼす。

 

 誰かに対して抱く気持ちもそう。

 

 やさしさや労わりのようなポジティヴな気持ちを抱くとき、それは相手にもつたわり軽やかな循環を関係におよぼします。罪悪感や嫉妬、競争意識、不安、猜疑といった感情は、それをむける相手のエネルギーも重くします。そして発した重さはさらなる重さをともなって、自分自身に鏡のごとく跳ね返ってくる。世界はそんなふうにできているようです。

 

 それは「目に見えないもの」だから無自覚になりがちなものだけども、だから「自分が幸せになる」=「自分を満たしてあげる」こと、エネルギーを清潔にしておくことは、自分のまわり、自分が心に描くひとたちにも影響をあたえる大事なことなのだということ。

 

 「好き」という気持ちはおなじでも、それが余白をもつ軽やかさからくるものか、追いつめられた重さをともなっているかで自分が相手や関係におよぼすエネルギーは変わるということ。「いま自分がどのようなエネルギーを発しているか」ということが、周囲や環境に影響をあたえ、それがひいては自分自身の現実となるので、だから自分がいまどういう状態であるか、ということは誰にとってもとても重要なことです。

 

 自分が幸せになることが周囲も幸せにするというのはそういうこと。

 

 もし自分のなかに「重さ」を感じることがあるならば、たくさん積み重なったものや停滞を感じてお疲れなのかもしれません。そんなときはなるべく「やらなければいけないこと」をシャットアウトして眠ってしまうこと、もしくは自分のために淹れてあげたあたたかいお茶をいただいたりなどして、ぼんやりする時間、自分が空洞になる時間をつくってあげること。

 

 「自分が軽やかなほう」を選ぼうとするとき、頭の声である理性はいろいろと指示したり注文を出してくるかもしれない。でもここまで読んでくださったあなたが、心の声にしたがいたいと思うときは、いつでも「自分が軽やかであれるほう」を選べますように、そうお祈りしております*