セオリツと瀬織津姫
Luna Somniumのメニューに「セオリツ」というヒーリングがありますが、その響きからおわかりになられるかたはそのとおりに、「瀬織津姫」という女神の名をお借りしています。
それをあえて説明には言及していませんが、幾度か「なぜ、“セオリツ”はGoddessの一覧に記載されていないのですか」というようなことをご質問いただいたことがあり、セッションをお受けくださったかたに、そしてそのなかでもそのような問いかけに出逢ったときにだけ個人的におつたえしてきたことでしたが、その言葉をどなたにでも読める場所にクローズドから“ひらいておきなさい”と、そんなふうに入ってくるので、これを綴っています。
瀬織津姫は記紀のなかには登場せず、神道の大祓詞にのみその名が確認できる女神であり、謎の多い存在です。そしてその“謎”に惹かれるかたたちも大勢いらっしゃるようです。わたしもそのひとり、ということになるのかもしれません。
一般的にいえば祓戸四神の一柱という説明ができるでしょうし、わたしもその説明を採用するときもあります。
けれどもわたし自身のことをいえば、「瀬織津姫」とはひとり(一柱)の女神のことを示すのではないのではないか、といつからか感じるようになりました。わたしはそれを、ある「系譜」のことだと受けとっています。
「系譜」といってもかならずしも「血の系譜」とはかぎらず、それをかりに「巫女の系譜」ということができると思います(“血”のなかでその才知、能力といったものを受け継がれることは多いので、ある意味ではそれは「血の系譜」なのかもしれませんが)。
そして「巫女」といっても、それはタロットのThe High Priestess(女教皇)のような――つまりは最高位の女司祭のことを示すのだと。
古代において、そのような女司祭の伴侶となる者が「“王”である」ということを証明された時代がありました。その“巫女”のことを「瀬織津姫」と、そしてその巫女に“おりてくる女神”――それを源と呼んでもいいのかもしれません――のことを重ねて「瀬織津姫」と呼んだかどうかはさておき、そのような系譜、巫女たち、存在を暗示する名であるのだと思っています。
高い神力、霊力をそなえた“巫女”がみずからのなかに“ある女神”を“おろす”からこそ、その“伴侶”となることが“王”である時代があった。
そしてそれは日本にかぎったことではなく、だから「瀬織津姫」とは日本にかぎった存在ではない、日本のなかではそのような名がついてはいるけれど、たとえば「宇宙意識」と彼女のことをそういうふうに呼んでもいいのだと思います。
あるときはイシス、あるときはマリア、そのように呼ばれた女神、聖女たちのなかにある“意識”というのでしょうか。あるときはアリアドネ、あるときは五十鈴、そしてまたあるときは――。
女神であり巫女である存在。
それを「瀬織津姫」と、わたしは呼びます。
この話は長くなるのですけれども、だからイシスとも聖母マリア、マグダラのマリアとも関係のある“意識”で、このエネルギーはそれぞれの、そしてほんとうはひとつである“源”につながるのを妨げているものがあるならば、そこに祓い浄めの水をおくることを意図しておこなっているところがあり、というのも女性は本来誰でも「巫女であり女神」だからです。
自分の中心に近づくほどに自身が巫女であり女神であることが“わかってくる”、そんなふうに感じています。
それはすなわち聖なる女性性の回復ともいえ、女神のエネルギーとは別にそれをしているのは、特定の女神のエネルギーとそれはわける必要をわたしは感じたからなのです。
“意識”に近づくために自身を祓い浄め、“中心”に近づく。
ひとつのセッションで女神のエネルギーをお受けとりいただくまえに、この「セオリツ」で自分を“清め”てから、とご依頼くださるかたもいらっしゃいますが、もちろんセオリツも女神も単体でお受けいただけるエネルギーですし、ご自身のお心にしたがうかたちで受けとっていただければ嬉しく思います。
女性のことばかり書いていますが、男性のなかにももちろん「女性性」があり、無関係な話ではありません。無関係どころかおおいに関係のある話で、むつかしい話は抜きにすれば「セオリツ」はだから、みずからを“祓い浄める”エネルギーであると、やはりそういう説明になりそうです。
新月のあとの夏至、そして夏至のあとの夏越大祓。今月は「瀬織津姫」の季節でもありますね。
*これはわたしが受けとったもの、受けとっているものはこうだというだけで、そう感じないかた、思わないかたの考え、受けとられているものを否定しているものではありません。maniacなお話におつきあいくださり、ありがとうございました*
LOVE♡