セッションについてのお知らせ

 

 

 夏至以降にセッションのお申込みいただいたかたにはおつたえしたことなのですが、6月も終わろうとしているので、あらためてBLOGのほうにもお知らせとして。

 

 「お知らせ」というほど大仰なことではないのですが、ひとつのセッションに要する時間を、施術時間+前後それぞれ30分を指針とすることに決めました。施術時間が60分の場合、セッション全体としての時間は合計(施術時間+施術外の時間)で120分を目安にしていただくかたちになります。

 

 また、ひとつのセッションでふたつ以上の施術のエネルギーをご希望されるかたもいらっしゃるので、その場合は施術と施術のあいだに30分ほど時間をとるかたちにしているため、前述した「施術外の時間1時間」に+30分から1時間を目安(お時間はエネルギーの組みあわせにより変動します)に、お手紙セッションではお手紙をお読みいただく時間を20分ほど、そのあとのお話を30分ほどとるようにしているため、+50分を目安にしていただくかたちになると思います。

 

 

 

 *ここからは個人的な話になるため、ご興味のあるかただけお読みください*

 

 

 

 いま、世のなかの状況、こういったなかでお運びくださるかたがたに、わたしなりに最大限の愛と力とともにむきあってきました。

 

 ただ、今年に入って月が変わるごとに自分のなかのエネルギーが変わってゆくのを感じ、そして今月そのエネルギーがセッションをはじめたころからおおきく切り替わっているのをあらためて感じて、これまでとやりかたを変えなければ自分自身への偽りになるという声が自分から聴こえてくるのを受けとりました。その声は去年の価格変更のまえにも聴こえた声で、あのときもかなりおおきなエネルギーの切り替わりがあり、これまでとおなじやりかたでやると自己犠牲になると感じ、価格帯を変更したという流れがありました。

 

 自己犠牲というのはとても重要な課題です。そしてそれは自分自身のエネルギーの状態とつねにリンクします。医者の不養生、ではないのですが自分のエネルギーの状態を最優先で意識する必要があるのに、ひとのエネルギーを癒すことを優先した結果、枯渇して自分が倒れてしまう施術者は多い。

 

 エネルギーワークはクライアントさまのなかに蓄積された滞りや詰まりを流してあげるものなので、施術者は自分のなかの「水」と相手の「水」をつなげて循環させるため、自分自身の「水」が透明であることが大切になります。そして自己犠牲と癒しがおなじ場所にあるとき、この「水」の重要性を軽視しがちであることが多いがゆえに、そのようなことは起こりえます。

 

 自分自身が刷新されるごとにエネルギーもクリアになり、この「水」の純度が高くなります。エネルギーの切り替わりとは、この「水」がより透明になったということをあらわすのですが、それに応じて、つまり自分が変化するたびに「変えなければいけない」と自らの中心から発する本心に気づくことがあります。

 

 エネルギーがクリアになるごとに、より自分の中心と近づくので、いままで聴こえてこなかった、あるいは耳をふさいで聴こえないようにしていた自分の深部からの声が聴こえてくることがあり、そしてそのようなときはその声に抵抗せず、流れにしたがうことが大切ですし、またそういうことがあるたびわたし自身の本心とその“声”が次第に近づき、重なってゆくことを経験してきました。

 

 わたしが心底「嫌だ」と思うようなことを、その“声”はいいません。ただ、「これまでとおなじやりかた」からの脱却をつたえてくることが多いので、「慣れていること」を「変える」のは大丈夫だとわかっていても、わたしのなかにある人間のエゴの部分は怖れを感じることはあります。大丈夫だとわかっていても、です。

 

 大丈夫だとわかっていても怖くなることはある。むしろ、自分にとって愛であるほうを選ぼうとするほど怖れが出てきたりする。そして「“怖れているから”大丈夫だ」とも思うのです。これまでやったことがないことをやろうとしているから怖いんだ、それは“あたらしい経験を自分にあたえてあげる”ということだから、わたしにとってすごくいいことなんだ、と。

 

 いま個人的にとてもおおきな内的変動を迎えているようで、セッションにも変更がもとめられているようでした。しかしわたしは価格帯の変更は現時点では考えておらず、現在セッションのさいにそのセッションのテーマカードのようなものをひいてメッセージをおつたえしているのですが、これも当面は(いつまでかという確証はなくとも)継続したいと考えているので、それならばセッションに要する時間を見直すことが大切なのだと感じるようになりました。

 

 わたし自身の性質のようなものとして、「言葉によるエネルギー調節」ができるようなのですが、会話をかわしたりメッセージでやりとりすると、相手のエネルギーを調節して軽くする作用があるらしく、一対一のコミュニケーションで、相手の心がほどけているときにそれがより強く作用しやすいこと、そしてわたし自身が施術しているアクセスのエネルギーはそのひとのなかにあるその時点での「不要なもの」をクリアにして、「気づき」をあたえてゆく作用があります。施術により「“勝手に”刷新されてゆき」、クライアントさまのなかで「“勝手に”気づきが起こる」——どの部分にクリアリングがあるか、気づきが起こるかというのはバーズ、フェイス、セクシャリティ、MTVSS、とそれぞれに異なるところはありますが、わたし自身がもつエネルギー調節とアクセスのエネルギーをあわせてひとつのセッションとしているようなところがありました。

 

 

 施術が終わってもエネルギーの調節が必要そうだな、してあげたいなと感じるとき、そのぶんセッション外の時間でお時間をいただいてしまうことが多々ありました。これはわたしの不徳とするところだと思います。そのような姿勢がクライアントさまから境界線に対するレッスン、時間の学びへのレッスンを奪ってしまったかもしれないとも思います。自分の時間を大切にすることが、他者の時間に愛をもつことでもあること。これはいま変更しなければいけないとてもおおきな点のようなので、セッション外の時間をこのたびあらためて自分自身とクライアントさまのために設定することにいたしました。

 

 以前にある場所でリーディングのメッセージを綴っていたときもそうであったように、すべてのセッションは一期一会です。その一期一会にさらに自覚的であること。かつて去った場所は、そこでの役目を終えたと感じたからわたしはあの場所を去りました。

 

 そしていまセッションというかたちに移行しましたが、それも「一期一会」であるという意識をより強化する必要性を感じたのです。「セッションをやめる」とかそういう話ではなく、ただもし明日「役目を終えた」と感じることがあったとして、いつでも悔いなく全力で臨んだから気持ちよくつぎに移行できる、そういう気持ちで、つまりは一期一会でひとつひとつのセッションに携わること、そういう気持ちをもって臨んではいましたが、さらに、より強く。

 

 わたしの魂が「ひとつのかたちにこだわる」ということをあまりよしとしていないところがあるみたいなので、逆説的のようですが、長くつづけるつもりならばより一期一会であることが大切なのだと。そして自分のエネルギーをクリアにしておくことが最優先で重要であること。そのためのめりはりはとても大事なものであること。

 

 そういったことをあえておつたえしなくても、自分自身の「ありかた」によって沈黙のうちにそれを示すことができればよかったのですが、わたし自身のためにこのように言葉にすることは大事なことのようなので。

 

 

 

 それから。

 

 アクセスの施術はクライアントさんが「“勝手に”調整」されてゆくものなので、わたし自身はあえて自分の意見をつたえることを避けてきたというか、つたえるときにはなるべくフラットに主観にならないように配慮することもありました。

 

 “気づき”はそのひと自身の内側から起こることに意味があり、その“気づき”に到達する段階では他者からの言葉が“気づき”に近づくのをかえって妨げることがあるので、そこにはよくよく注意が必要だと思ってきたのです。

 

 けれども今後はセッションの時間内で「これはいったほうがいいのだろうな」と感じることはおつたえしていこうかなと思っています。そのようなことは必要なメッセージとしてご依頼いただいた場合におつたえすることもありましたが、ご依頼いただいてメッセージをおろすほどにはコアなことでなくとも、いっておいたほうがいいと感じられること、ある意味での“調整”としてなら大丈夫だということなので、そのようにできたらと思っています。

 

 

 とても長い文章となってしまいました。

 

 お読みくださりありがとうございます*

 感謝をこめて。