2023年のこと

 

 

 2023年は“あたらしさ”に自分を“ひらく”ことがもとめられるかもしれません。

 

 “もとめられる”というのは、なにより自分自身の内側から。

 

 “はじまり”があるとき、そこには“あたらしさ”があります。そして“あたらしさ”があるときかならず、“ふるい(古い、旧い)”ものが表面化し、浮上し、それを大掃除するという流れが生じます。

 

 それはあらゆることに当てはまります。

 

 関係、コミュニティ、組織、国、地球、とすこしずつ規模をおおきくしたとしても、それが取り巻く世界の中心にいるのはほかならぬ自分自身なので、大掃除されるのは自分を取り巻く世界であるように見えながら、それによって掃き清められているのはその中心にいる自分です。

 

 誰にとっても自分自身こそが自分の世界の中心である、ということ。

 

 そして自分の世界の中心が自分である、ということを真に心で、意識で、肉体で納得している状態であるためには、頑丈な土台が構築される必要があるそうです。

 

 「“あたらしさ”に“ひらく”」という段階は、「その準備が自分にはできていますよ」「もう準備完了ですよ」という状態でもあります。

 

 だからひとつの“あたらしさ”に自分を“ひらく”とき、そのための準備が自身のなかで調っていることがもとめられます。それが調っていないときにどれほどその“あたらしい”扉を開けようとしても、自分自身からまだその扉の鍵を手渡されていない、自分が自分に許可していない、ということもあります。

 

 鍵はいつでも自分のなかにある。それが眠っているときも、取り戻したときも。

 答えがいつでも自分の内側にあるように。

 

 それはある意味で自分によって「守られている、護られている」ということでもあります。準備ができていないときに扉を開いてしまったとき起きる顛末から、あなたを“まもっている”。

 

 それがいまの自身にどのように感じられたとしても、いつかのあなたには“わたし”という深い愛からの縛りや制限や足止めであったことが、よくわかる。

 

 そして“ふるいわたし”をたしかにまもってくれていたそれが、もう必要ではなくなるとき、今度は“あたらしさにひらく”ために自身の“ふるさ”を開放する、浄化する、という段階が訪れる。

 

 2023年は多くのひとにとって、この“ひらく”が重要になってくる年であるように感じます。

 

 この年を迎えるまえに、“ふるさ”を手放してきたこともたくさんあると思います。

 

 そのおおきさや質もひとそれぞれ。すべてはエネルギーであり、あたらしいエネルギーを受けとるために、ふるいエネルギーを開放し、自分のなかにスペースをつくってあげる必要がある。

 

 “あたらしさ”へと自分をひらくためには、自身の“ふるさ”を開放することが大切になる。――大掃除。

 

 それによって“わたし”のなかに、あたらしいエネルギーや生きかたを受けいれるためのスペース(空白)がつくられるだけでなく、自身の肉体や心に軽さが還ってきて、それまでとは異なる視点で物事を見るようになる。

 

 肉体や心や視点が変化するから、“わたし”も変わってゆく。それは必然的に“わたし”の外の世界にも影響をおよぼします。

 

 そしてそれは、ほんとうは自分のなかに眠っていた自分を起こしたということで、“変わった”と感じる自身がいるのなら、それは“還った”というほうがただしいのかもしれません。軽くなるごとに、自分に還る。

 

 “あたらしさ”は、自分の眼差し、意識、心、肉体が纏っていた靄をクリアにする、ということで、「クリアにするものがある」ということは、本来の自分自身である「内なる声」とのつながりに詰まりや滞りがあったということをあらわし、そこに詰まりや滞りがあるとき、わたしたちは怖れを感じます。

 

 おおきなあたらしさのために、あたらしさのまえに、自分をクリアにするのが大切だといわれるのは、それが本来の自分自身である「内なる声」によって開かれるものだからです。

 

 だからその“声”とのつながりを無視しようとしているとき、それを知らせる現象が外側からやってくる。“怖れ”は自分の真実を教えてくれる大事なもの。それに気づき、この人生のなかで「生まれ変わる」ごと、あたらしさを受けいれるごとに、わたしたちは自分の中心に近づいてゆきます。

 

 そのようにして自分の中心に還る、ということは、“わたし”という自分自身を取り戻す、ということでもあって、重要な節目ごとに種の殻を破って死を迎え、芽吹くことで再誕生する。

 

 だからはじまりには自分自身を“ひらく”覚悟ももとめられるのです。

 

 あなたの“あたらしさ”と“はじまり”に祝福を。

 

 あなたのなかにその“鍵”はあり、それはいつでもそこにあったのです。これからもいつでもそこにあるのです。

 

 このあたらしい年に描かれる年輪のひと巻きが、うつくしいもの、やさしいもの、いつくしみに満ちていますように。またそれらのものを受けいれるための大掃除が起こるなら、土台を再構築するための時間が訪れるなら、そのときもいつも、あなたがあなたにまもられていることを、あなたが想い出せますように。